日本政府が、屋外ならば人と人との距離が確保できなくても会話がなければマスクは必要無い。また、人との距離が2メートル以上確保できれば、少しの会話があってもマスクは必要無い。
という見解をGW明け頃に発表しました。
その後の5月20日頃には、厚生労働大臣がこんなことを言ってました。
「屋外で人とすれ違うことがあっても、会話がほとんどない場合はマスクを着用する必要はない」
ホホ~!!条件付きではあるけれど・・マスクしなくていいんだ♡
しか~し、買い物やお散歩にでかけたとき、街中を見渡すとほぼほぼの大多数がマスクを着用したままです。こんな話をしている私とて、マスクしています^^;
手話での会話なら、マスク要らないんじゃない?
でも、なんでだろうね?
「マスクを外す勇気」・・大袈裟だけど・・必要だったりしませんか?
ここからは好き勝手に想像を膨らませた話!
実は、この日本という土地に生まれたために、身に付いてしまっている遺伝子のようなものを感じてしまうのです。
なぜ、マスクを外せないのか・・から飛躍しすぎですが(笑)
以下は話半分で読んでください♪
昔、江戸時代に幕府が町や村に作らせた五人組とか、もっとそれ以前に組織された五保の制や十人組、近代になっても伍長組や隣組などもそうだと思うのだけれど、連帯責任や相互の組での協力体制とか、更には監視体制なんかも作りあげていた歴史が関わってるんじゃないかと考えたりしています。今はそこまでがっちりではないのだろうけど、地域の自治組織ってあるよね。たぶん地方にいけばいくほど存在しているのではないでしょうか?
農作業など組に所属する家々で協力しながら進めることができるメリットもあれば、なにかときちんとできない家があったとしたら、その組全体が迷惑を被ることになるため、連帯責任のデメリットもあります。そんなところから、日本人は『人様に迷惑をかけてはいけない』という先祖代々伝わる思想?!が刷り込まれていたりします。最近ではあまり言われなくなったのかもしれませんが。
また、他の組の犯罪者などを幕府へ報告したら、褒美をもらえるので、組同士が互いに監視しあうという体制も出来上がっていたりするのです。
いや~(^◇^;)こんな遺伝子を受け継いでいると思うと、なんだか背筋がゾゾっとなりません?
良い面でいえば力が集結され協力し合ってるぅ~って感じ?だけれど・・悪い面が際立つと、あの『村八分』なる制裁が待っていたりと、かなりエグい。。
『村八分』とは10ある付き合いのうち「葬式と火事以外は協力しないし、つきあわない」というものです(・o・)
このような歴史を思い起こして、日本人が周囲の人たちと違ったことをしてしまった後の制裁をあれやこれやと想像してしまうような気質があるのではないかと思ってしまうのです。
今でこそ、鎖国が解かれ(笑)インターネットの普及などで、いろんな文化や思想に触れることができるので、随分と日本人気質も変化しているのだろうけれど。それでも根底に流れる昔ながらの慣習や文化は遺伝子レベルで染みついているんじゃないかと思ったりしています。
マスク拒否で飛行機を降ろされた人たちがネットニュースで取り上げられていたけど・・。かなり吠えていたな笑
そこで考えるのが日本在住の視覚言語界の住人たちのこと。マスク解除になったけど、みんなはどうしてる?
時々、インターネットやテレビで「日本文化が好きです♡」と言ってくださる方々がいると、とても嬉しい気持ちになったりします。自分自身、日本人だ!ってあまり意識することはないのだけれど、これもまた意識されないレベルで日本人だったりするのかもしれませんね。
そして・・
岸田総理が6月10日から観光目的の入国再開を発表しました。条件がこちらにも付帯されていますけど・・。
やっと、やっとですね!!
で、マスク・・どうすんの?
あ~!!もしかして・・??インバウンド向けアピールのためのマスク解除の話だったりするってわけかしらん?